ONE  〜世界を一つに?〜      
 
想像してごらん 天国なんてない
その気になれば簡単さ
僕らの足元には地獄はなく  頭上にはただ空があるだけさ
想像してごらん すべての人々が 今日のために生きていると

想像してごらん 国なんてない
そんなに難しいことじゃない
殺したり、死んだりする理由もなく 宗教さえもない
想像してごらん すべての人々が 平和な暮らしを送っていると

僕を夢想家だと思うかもしれない   だけど 僕一人じゃないはずさ
いつの日か 君も加われば この世界は一つに結ばれる

想像してごらん 財産なんかないと
果たして君にできるかな
欲もなければ飢える必要もなく人はみな兄弟なのさ
想像してごらん すべての人々が 世界を分かち合っていると

僕を夢想家だと思うかもしれない   だけど 僕ひとりじゃないはずさ
いつの日か 君も仲間に加わって 世界は一つに結ばれる
                           John Lennon / Imagine

    *最後までよんで下されば言いたいことが分かるかも

素晴らしき世界だね。
猫のキャットフードの缶詰ってどこで作られるか知ってる?
東南アジアの物価人件費安いところに工場があってそこ(バンコク周辺の缶工場)で日本の猫缶ほぼ全部が出荷されます。飼い猫一匹の1月の猫缶代がそこで働く人たちの月給の3分の1ぐらいだそうな。こりゃもう猫ともどもそこの国の人たちに感謝しなきゃね。ってそんなんじゃない。水産資源を猫のためにとりまくり、安い賃金で働かせ製造させる。待っときゃ日本の飼い猫は餌が食べれる恵まれた生活。こんな逆転構造でいいわけあるまい。
そこで、それに対する反省論が出てきてるんだって。「猫の方が偉い?そんなわけないだろ。日本は輸入に頼るの生活習慣を考え直し〜」みたいなの。けど、そしたらタイの工場関係者はハラハラしてんだって。
彼らはこう言う「社会問題にしないで下さい。」
そんな反省論で日本の猫缶輸入を考え直されたら?当然タイからの出荷は減って関係工場十数社、工場労働者約2万人の明日が危ない!日本での一月あたりの猫缶代が少なくなったら労働者の月給も少なくなる。3分の1の関係は変わらない。実に滑稽な話だね。どうしてこんなふざけた世界になっちゃったかな。
「まるで猫より下の生活じゃないか」、と考えられ始めたら「そんなんしないで。明日が危ないの。」 
泣きそうになる。生活の向上を目指したら、結局生活を下げる迷惑となってしまうのだ。社会の根本から考える必要があるということだ。が、それは無理だ。歴史が証明してる。いくら革命を起こしても、少し権利がもらえただけだ。権利を受け取るというのは責任を負うということ。責任とは呪縛、呪縛とは自由。単に、僕たちは新たな支配を受けるようになっただけなのだ。

人間の欲望がつきたら進化は終わる。つまり、世界が一つになれたら=皆が皆のことを考え続けるようになれば=ひとが欲求を無くしてしまえば=進化が終わればということだろう。世界が一つになるってことは進化をやめること。それでは生きていく価値を見いだすのは不可能だろう。生きていく理由など誰もが見つけていることではないという意見がありそうだが、人は今より心地よいことを求めて動くだろう。嫌々働くのも働かないともっと苦しくなることが分かってるから。音楽をきくのも、散歩にでかけるのも、シャワーを浴びるのも、映画を見るのも、好きな人と一緒にいるのも今よりよくありたいからに他ならない。することがないから、ただの好奇心で、気分転換になどそこの理由は細かく様々だろうが、全て今ではない別のものへ、と漠然とだが言い換えられる。そうして居心地のよい状態を見つけたらそれを維持しようとするだろう。それが普通だ。そうして皆が欲張らず維持を続ければ、欲求が減れば、世界は良くなる?違います。現状を維持するにしても前に進まなければ。ただそのままでいたいと思うだけではそれを保ち続けることは絶対にできない。変わりたくても変われないないというのをよく耳にするだろう。それは前進できてないからではない。同じように動くものがあるからそこから抜け出すことは実に面倒なのだ。もうここでいいやと思うにしても止まってしまったらそこまでだ。あとは落ちるのみ。進化をやめると普通にも生きられないのだ。世界を一つに?基準をさげれば皆同じになれるさ。オレはゴメンだけど。
皆で協力して社会向上に努めればいい?社会主義だね。けどそれはやっぱり無理。だって個性があるように人の能力は絶対に差があるのだから。同じ仕事をさせても良くできる奴とそうじゃないのが必ずできる。それが何回も続けば貧富の差完成。差を無くしましょう?出来ない奴が悪いのよ。ってね。そしてそれは大体世代を伝わっていくからたちが悪い。今度は才能の優越がそのまま通じなくなる。実際、身一つで成功した奴もいるがごくわずか。やはり親をこすことが出来ないのばかりだ。
毎回言われてきてることは問題提起があいまいなのだ。収入が違うことがいけないのか、環境が平等ではないことがいけないのか、この資本主義がいけないのか、皆が一つになろうとしないことがいけないのか。これら以外にも多くのことを含めて、今の社会はおかしいなどというからなにもできない。皆共感するがそれまでのこと。
僕が冗談半分に考えてみたのは「人生1回勝負制度」ようは相続税を半端なくあげ、皆のスタート位置を揃えるのだ。子供ができてもそれにかけるお金、つまり環境は皆統一する。小学校は全国全て同じ教育をする。そのなかで考えて賢く成長して、なにかの道にいって人生を全うする。平等だった環境のなかでオレは成功したぜ!って。ただこれ遅く生まれてきた奴が圧倒的に不利なんだよね。また、バカな親のもとに生まれた子は環境がやっぱり違う。こうなったらマトリックスの世界ね。皆プラグでつないで管理。第1世代から何年たったころは社会がだいぶ決まってきてるから30世代ずつ違う管理ベースに転送しようっと。とか。皆が現実なパラレルワールドの中で生きる。これは平等だわ。
まぁバカみたいって鼻で笑ってくれたら満足ですよ。ハイ。

話を少しまじめに戻します。結局ね、この競争世界は変えられないのだろう。ライオンに食べられるシマウマをかわいそうって考えたことある?対抗手段は気を抜かず逃げることしか持ち合わせていないピラミッドの下の部分を理不尽と思う?植物などは完全に他者のために存在するじゃないか。子孫をのこすのも他者のためだ。 タイの人たちを他者のための存在なんて言うつもりはないよ。ただ、彼らを恵まれた生活環境にするには僕たちがあのようになるしか道はないのじゃないか、と思うようになったのです。お互いに譲り合ったら、上記したように下落の一途をたどるわけです。「世界をかえることは無理なんじゃないだろうか」皆がそんな思いを漠然としながらも持っているから「世界を一つに」なんて声高らかに言うんじゃないかと思う。無理だって分かってるから口にしたがるんじゃないか、と。
そんなこんなで落ち込み気味ながらも自分たちの恵まれた環境というのをまた感じたわけで。やはり生まれた責任というものを考えて前に進まなければ、と思ったのです。それがどれだけ残酷なことか知りながらも。恵まれた環境に生まれたからちゃんと生きるんだ前進するんだ、というのがどれだけ辛いことか。そうやって全体でみれば恵まれているがそれは望む環境とはまた違う。求めて前に進むのは苦しいが、落とされていくのも当然嫌だ。もう何もしたくなくなるが、現状に満足はできない。ひどいわがままのようでごく自然なことのようで。NEETとか、集団自殺とかは、そんなやってられないようなもやもやがたまるとかね、ふとしたことでなるんだと思う。だから解決策など簡単には見つからない。
生きるのは辛いこと?楽しいことや嬉しい出会いも味わえるでしょう?けど、辛さがないと楽しさもないよ。楽しさを求めるってことは苦しみを求めると同義だ。人は幸せになるために生まれてきたなんて残酷なこと言うなよ。
ある人は言います。『死を恐れる人間などひとりもいない。ただ死に至る生を恐れているのだ。 そもそも生きることが異常だ。死んでいることが本来で生きているというのはコンピュータのバグ。神の作ったプログラムのバグこそ、人類と言える。生きていることは、それ自体が、病気なのだ。病気が治ったときに、生命も消える。  睡眠欲がある。眠ることの心地良さって不思議なものだ。何故、私たちの意識は、意識を失うことを望むのか?意識がなくなることが正常だからではないか?眠っているのを起こされるのは不快でしょう?誕生だって同じこと、生まれてくる赤ちゃんはみんな泣いている。生まれたくなかったって・・・』
 笑いながら死ぬのがいいというのと見事に噛み合いますね。夏目漱石の猫もいってましたね。けど、おかしいでしょ。感じるのは生きているから。辛かろうが痛かろうが嬉しかろうが気持ちよかろうが、それは生きているからこそ。終わりの模擬体験を心地よく感じるのは生きているから。死んでしまえばそれまで。何も感じないのだ。つまり人は無を求めているという。けど例えば、苦しみ無くして楽しみなし、ならもう楽しみもいらないから苦しまない。けど、それはきついです。上記したように人は現状より良くなりたいから向上するので、それをやめてしまった人は落ちるのみ。落ちる。辛い。面倒だ。死んでしまおう。結局無から無への移動。生きていて無に近づいた者が極限の無へ、死へといくように見える。生きていてはどうしても無になれない。死のう。これでは死に吸い寄せられているようではないか。なぜ死が正しいように考える所を当然のように語る。皆死から抗って必死に生きている。これが正しいことかもしれない。何故かは知らないが、生まれました。これは生物が気が遠くなるほど続けてきた行動です。それには何かの意味があるでしょう。神の罰だ、プログラムのバグだ、人を愛すためだ、文明にふれるためだ、あーだこーだ。違うよ。生きるためだ。生きる理由だとかどうだとかいらないわけで。生まれたなら生きろ。生きてる理由が見つからないなら、見つからないからこそ生きろ。理由を見つけたときに死ねばいいさ。人間の寿命がどんどん延びてきてるのは?文明に生かされている期間が延びただけだという人もいる。それで結構。文明が発達して社会が複雑化してきたから、理由を探す期間が増えたのだ。きっとそうだ。見つからないから見つけるのだろう。人に変われている動物の寿命は長い=それだけ探す期間がいる。ってことだ。多分。問題が難しくなるかわりに期限ものびるんだ。
分からないことを否定するのは愚者だろう。考えなければ。くどいようだが生きていく理由など答えがないから人は生きるのです。断じてそれだけ。生には否定も肯定も存在しない。生なくしては概念などないからだ。

拝啓 ジョン・レノン様
世界が一つになるのはどうやら無理なようです。
けど、あなたの言うことは分かります。また1世紀ぐらいたったときにまた考えようと思います。
100年?生きられますよ。だって問題は実に難しいですから。
あなたほど速くは解けそうにありません。
                      敬具




Man On The Earth